ひとりで、大晦日を迎えるのは、始めて?ではないだろうけど、記憶にない。
父が亡くなってからは、いつも母と過ごして来た。母が年の瀬に緊急入院した大晦日、夜を一人で過ごしたのだけれど、大晦日もお正月もなかったから、これは問題外。
どこで大晦日を迎えても、母と一緒だと、「紅白歌合戦、」を見ていた。
素晴らしい演奏だった。大合唱は国立音楽学校の学生達で、音量も、声も申し分なく迫力に満ちていた。テノールとバリトン、ソプラノとメゾの4人も格調のある歌いで、オーケストラを盛り上げた。
聖夜の中で、私はウィーンでの体験を思い出していた。ベートーベンの家を見に行くと、ベートーベンゆかりの教会で開かれるコンサートのチケットが発売中だった。収穫際のチケットで、15シリングくらいの安いチケットだった。
教会でのコンサート、演奏中に、窓から見える大木の枝が、演奏に呼応するかのように揺れていた。私はなんだか感極まって、涙に濡れていた。
ウィーンの音楽大教授による指揮の演奏が終わると、ソプラノ歌手が登場した。日本女性だった。驚きと共に、日本人が、という思いで喜びも。
演奏会が終わり、ベートーベンの散歩道を辿って歩くと、静かな人通りの全くない場所で2人の日本人の男女にに出会った。 こんなところで、と怪訝に思ったら、キリスト教の伝導をしているのだという。「もろみの塔 」という宗教の信者達だった。
その後、ウィーンから、ハンガリーのブタペストに行こうと電車を待っていると、出会った女性が、同じように電車を待っていた。
話をすると、彼女はウィーンの音楽学校で教師をしているとか。
ウィーンは音楽の都、どこを向いても音楽家に出会う。そして音楽を志す日本人に出会う。
第九は、人と人とのつながり、共に喜び、歌い、歓喜となって、響き渡る。
第九を聞いて、ひとりぽっちの大晦日を過ごす。あらゆる人に幸あれと願う。孤独の中で、より高らかに胸に響く。