富岡鉄斉と吉田画伯

 

  ギメ美術館に、富岡鉄斉の掛け軸が4,5枚展示されていた。墨絵も大胆で素晴らしいが、字に魅せられた。日本に帰って、インターネットで鉄斉の作品が見られる所は?と調べたら、灯台元暮らし、近くに鉄斉美術館があるという。戦後、歌劇しかなかった宝塚に宗教と芸術文化の花を咲かせたいという理想を持っていた、清澄寺の第三十七世法主光浄和上(1895-1969)は、富岡鉄斉が87才の時に初めて出会い、宗教と美術を一つに結ぶ鉄斉の平和精神を世界に広める事を発願し、鉄斎芸術振興に尽くした。遺志は、三十八世光総和上に引き継がれ、ボストン美術館やギメ美術館、東京国立博物館、近大国立などに、作品が寄贈されることに。

 ギメで見たのは、その寄贈作品ということになる。鉄斉は文人画家で、神社の宮司も勤めていた。宗教と芸術の融合と平和への願い、と聞くと、パリの吉田画伯に共通性を感じる。鉄斉の絵は、墨絵で水墨画だが、吉田さんも、日本に居るときには、色彩の美しさに定評があったけれど、パリに来てからは、。長らく黒の世界に集中された。黒白の世界を通して、現在は金と銀の輝きを入れられるようになった。金は、宗教の場でも、宗教画の中にも、神仏にも使われている。下絵に赤を塗り、その上から黒を何度も塗られる

隠れて色は何層にも深く、その上に直に金を貼り付けて行く。初めから金ではなく、究極に金があり、その金色は、時間を経て、更に変化して行くことを見越しての塗だと言われる。

 宗教的芸術を通して、祈りと平和を祈願するという、共通の認識を、吉田画伯と、富岡鉄斉に見るように思われる。鉄斉の写真を見ると、ますます共通点があるような、そんな不思議さを感じる。

 最も、ワインを飲み続けて来られた吉田さんは、いささか西洋的ではあるが。