幸せな夏、春のシネマ祭り

  

土日月の3日間、春のシネマ祭りとして、パリ中の映画館で、3ユーロ50という値段で、映画を見ることが出来る。土曜日と日曜日は、避けて、最後の月曜日の朝、近くにある

シネマに行った。

 10作品ほどが上映されている。その中で「幸せな夏」という作品を選んだ。

前にいた人が、2枚のチケットをもっていて、私に買わないかと訊ねて来たが、なんとい題かと聞くと、「パリ」だというので、私が見たいのは別のフィルムだと断った。

 その人は、窓口で払い戻しを頼んで、しばらく問答していたが、お金を戻してもらっていた。

「幸せな夏」は、ジュリオット、ピノシェが出ているので、内容はわからずに選んだけれど、地下鉄の中でも宣伝していて、この映画館の前にも大きな写真が出ていた。

 

 田舎のアトリエ兼用の家に、75歳になるおばあさんが、年老いた家政婦と暮らしている。映画の始めには、庭で戯れる子供達の姿から始まる。75歳の誕生日を祝いに集まった子供達とその家族の幸せな光景から始まる。母親は、画家の作品を大切にし、食器や、素晴らしい机、中国の飾り棚などを、使いながら親しんで暮らして来た。長男だけを呼び、デッサンや、画家が最後に書いたデッサンなどを見せ、自分の死後のことを託す。

 やがて彼女が亡くなり、3人の子供達はそれぞれの生活があり、話の結果、それらのものをお金に換えることになる。家政婦は老人の家に行き、家は長い間空き屋に。

 家政婦は、絵の評価にやってきた人達がいる家にやってくる。いつも活けていたガラス壺に、活ける花を持って。いつものデスクに花を飾り、自分用に、ガラス壺を一つ持ち帰る。娘は、誕生日に見て、気に入った銀細工のプレートと食器を自分用に取っている。あとは興味ないからいらない、と。鑑定家達が、作品を整理していく。長男は、母親の意向をくんで、アトリエを残したいと思うが、次男が3人の子供が居て、生活が大変だから、処分してほしいと言われて、何も言えなかった。自分達でも、どうにも出来ないことだった。素晴らしい作品の保存を考えて、級友の鑑定家各美術館に働きかけた。壊れた像の修復をした。

長男夫婦は、オルセー美術館のデコラティフのアールヌーボーのコーナーで、母が使っていた机を眺める。いつも行けていた、花瓶も、ガラスの中に収められている。

 やがて、放置された田舎屋に、長男の娘が友人達を引き連れで、どんちゃんさわぎのパーティーを計画、その準備を彼らがしている情景が映し出される。がんがん鳴る音楽。マリファナを吸う子供達。

 娘は、そこから抜けだし、子供の頃の、幸せな時が、無くなってしまった感傷に浸る。 先日、オルセーに行った時に、アールヌーボーのコーナーを見てまわった。その同じコーナーが出ていた。見学者達に、その机の説明をしている。

 家具や、食器、花瓶など、生活の一部で、本来使われる人に愛用されてこそのものだけれど、主が亡くなると、美術品になる。鑑賞の為の。「幸せな夏」は人の存在が消えると共に、失われる。