パリの彩り

 

  

 今日は朝から久しぶりに、太陽が輝いている。晴れた日には、朝から出かけるのが良いのに、ブログを書き始めると、午後までかかってしまった。ホテルのロビーで、コンピューターをさせてもらうのは気が引けるので、まとめて行くことにしている。3本書いて2時に出かけた。晴れた日は、気温が下がるようだ。

 午後になると、客がやってくる。イビスホテルは2つ星なので、昔は安いホテルだったけれど、今は80ユーロくらいになっている。それでも、パリの中では安い方。この前バスティーユで会った、二人連れの日本女性は、北駅の近くに泊まっていると言っていた。安いホテルを探したら、狭くて、ローマよりもずっと高いのに、と言っていた。 北駅のあたりは治安が悪い所なので、夜はあぶないらしい。13区は下町で、大学が多く、学生も多く治安が良いのがありがたい。

 

このイビスホテルで、コンピューターをしていると、日本語で「ありがとうございます。」というのが聞こえた。顔をあげると日本の女性が頭を下げてお礼を言い、コーヒーをもらって、部屋に帰る所だった。日本語で、感謝の言葉を述べるのも良いものだ。吉田さんは、聴くことはわかるらしく、日本語で答えたりしている。

この前、乗り換えたいバスが見えていて、吉田さんは、バスに乗るから降りたい、と言うと、運転手は、ものすごい剣幕でまくし立てた。

 「バス停から5メートルも離れている。子供が出てきたらあぶない。警察が見たら罰金を取られる。などなど」と。

 運転手の言うままにじっと顔を見ていた吉田さんは、日本語で、「おろしてくれてもいいじゃないか。」と手で説明しながら怒鳴り返した。乗る予定のバスは動かないで待っていたので、乗り損ないということはなかったけれど、吉田さんもせっかちだし、バスの運転手も随分アグレッシブな人だった。フランスだから、フランス語で答えなくても良い。日本語で答えれば良い。怒っているのか、感謝しているのか、その人の言わんとしている心情は十分伝わっている。

 

 気になっている仕事を片づけておこうと、クレディリオーネ銀行に出かけた。オペラ座からイタリア通りに、その銀行がある。パリ中にクレディリオーネ銀行はある。すぐ近くにもあるので、銀行で、両替をしてもらおうとしたら、この銀行に口座があるのかと聞かれた。イタリア通りにあるクレディだと答えると、それではだめだ、と言う。日本では考えられない不親切な不便さ。

 イタリア通りの銀行で、係の女性は今空いているか聞いた。去年来た時には彼女がいた。 去年勧められて作った、クレジット付きのキャッシュカードをやめて、無料のキャッシュカードだけに変えてもらうのが目的だった。彼女の出勤日ではなく、月曜にランデブーを取った。それから、パリ市庁舎まで足を伸ばした。ボーボワールのエクスポジションを見るために。それは終わっていて、「彩りのパリ」というエキスポジションに変わっていた。1907年から2007年までのパリを彩る、写真や、雑誌、などを時代順に展示してあった。

 

1907年から30年までの、ベル、エポック。1930年から60年までの技術改革から戦時下でのパリの面影

 1960年から今日に至る、のパリにおける新しい見方での自由化された彩。

7時に閉館なので、30分ほどしか時間がなかったけれど、パリの昔の写真を見るとカルチエの変わりようなどがわかり面白い。戦時下でパリの美しい女性ばかりをターゲットに写真を撮っていた、ドイツ兵の写真家の写真や、パリ解放の時の写真など、興味深いものだった。写真を撮るのは気が引けて写せなかった。誰も写真を見ながら写真を撮っている人はいなかった。

朝晴れていたのに、雨が降っている。傘をさして歩く人は少ない。降っているかと思うとやんでいる。晴れ間が出てもすぐに暗雲が立ちこめてくる。変わり身の早さ。