ワーグナーのオペラ

 金曜日にあふれた、ワーグナーのオペラ「Parsifal]に再び挑戦する。火曜なので、空いた席もあるだろう。早めにと思って、3時40分にバスティーユについた。

雨風が激しかった。今日は、人が少ない。やはり順番待ちのチケットがあった。防寒着に身を包んだ男の人が、紙切れをくれた。15番だった。14番をもらって座っていた女性が、私が来たので、トイレに行きたいから、見ていてほしい、と言って出かけて行った。彼女はバケットのサンドイッチを持って帰って来た。サンドイッチにかぶりつき、再び雑誌を読み始めた。1時間前になっても、今日は少なかった。それでも、一人で何枚かの券を買うので、62になるのは、チケット通りには行かないだろう。

 

 

一枚の人は、入り口が3になる。この前は、4番で並んだ。開場してかけあがり、最前列の立ち見席に、コートをかけて、我慢していたトイレに行った。今夜は始まる前になっても、立ち入り禁止のテープをはずしに来てくれなかった。2人がテープをくぐり、客席を探したが、一人だけ座って、暗くなった。

一幕目は、立ったままだった。立っていると、二階の席がせり出しているので、字幕が見えない。横で座り込んで見ている人が正解だった。わからないままに、聴いていると、ワーグナーの雄大なスケールの楽曲の素晴らしさがよけいにわかるような気がする。

 二幕目は、通路に立ち、暗くなる前に開いている席はないかと探していた。中に空いた席があるからと、教えてもらって、そこに座らせてもらった。最高の席だった。今度は字幕を見ながら。ワーグナーは、演劇的で、それを盛り上げるのは、オーケストラによる情感を揺さぶる、感動的な演奏だ。バリトンとソプラノとの組み合わせが厳かさを演出する。 それに、合唱が、天なる声のように響く。男性と女性のコーラスが、組み合わされ、遠くから風に乗って聞こえてくる女性の合唱と、舞台の後部席に審判のように並んだ男性達のコーラス。ギリシャ悲劇の「コロン」も証人の役目になっているが、そういう効果もあるし、ベートーベンの第九での合唱のようでもある。

 2回目の休みになると、私の席に、券を持った人がやってきた。また、立ったままで、待っていた。暗くなり始め、端の空いている席があったので、座った。しばらくスクリーンに映画が映し出され、破壊され、瓦礫化した町で、少年が飛び降り自殺する、会場で、やじが飛んだ。音楽を演奏しろ、と。誰からそれに手を叩く。スクリーンが消え、演奏が始まった。

端なので、終わると拍手をせずに会場を出ることが出来た。時間はすでに11時20分だ。地下鉄には、まだ沢山人が乗っていたので、心配なかったけれど、やはり身がまえる。

 ミッテランで降りると、誰も歩いていなかった。足早に歩いてアパートの中に入った。ほっとする。2回の休みを挟んで、5時間15分の長いオペラなので、帰りが心配だった。2幕で帰ろうかと迷った。でも、最後まで見ることが出来て良かった。寝ていても、目覚めても、音楽が聞こえてくる。今回のパリは音楽三昧。