ゴーギャンがゴッホに嫉妬したわけ

  

 

 オルセーにある、ゴッホゴーギャンの絵を比べて見ると、ゴーギャンゴッホにあれほど嫉妬したわけが、わかるような気がする。ゴーギャンが求めても持てえなかった情熱をゴッホが炎のように燃えあがらせていたからではないかと思う。ゴッホの才能に嫉妬したと言われているが、情熱という言葉は、パッション「受難」を含んでいる。ゴッホが描いているのは、ゴッホの意志からではなく、神の啓示によるもので、神から与えられた才能なのだ。パスカルが火の体験をしたというのも、パッション(情熱)によるもの。

 

 

ゴーギャンという人は、計算高い商人だった。妻もあり子供もいた、普通の人だった。画家に転向し、絵も売れた人だ。頭で描き、どのように描くかを計算し、自分の中にある合理性と戦ってきた画家だ。 最終的には、タヒチという南海の楽園に、乞食のような生活を望んだ画家だ。自己解放を望み続けたけれど、彼自身の傲慢さ、賢さは、死ぬまで残っていたかもしれない。パッション(情熱)を求めて、あくまでも理性の人だったゴウギャンは、ゴッホの見返りを求めない純粋さ、狂気と紙一重の情熱をつきつけられて、どれほど苦しみ、嫉妬した事だったろう。望んでも望み得ない才能に。

 例えば、サリバンが、モーツアルトに嫉妬したように。

 

大胆で、何の防御もないゴッホの絵画はひたむきに、見る人に迫ってくる。苦しみも、暑さもむき出しにして。反面、ゴーギャンの絵はひややかだ。題材に選んだのは、のびやかで無知な女達なのに、絵画がこう描きたいけれど描けない押さえた理性が見て取れる。おおらかなように描こうとした絵画という気が、私にはする。