吉田さんを訪ねて

 朝早く電話のベルが鳴った。パリに来て、初めての電話、誰だろう。吉田画伯からだった。朝の7時半だ。吉田さんは、朝は遅いと聞いていた。

私が出かけてしまうのではないかと懸念して、朝早くに電話をかけてこられたらしい。

 「昨日まで画商が泊まっていたので、連絡するのが遅くなった。」とおっしゃる。こちらの方も、カルトオレンジを買うまでは身動きもとれないし、昨日は美術館のフリーデー だったので、と言いわけした。電話がかかると、今日会いに来ないかと言う話になる。

今からでも、いつでも、と言われて、11時ならと返事をした。食事をすませてお風呂に入っていると、電話が鳴る。吉田さんだった。急がないで12時過ぎに来てくれたらいい。 時間があるので、コンピューターに文字を入れる。気がつくと、もう良い時間だ。

土産物を持ってバスに乗った。吉田さんは、ニジマスを買ってくださっていて、私が思いの外早くついたので、まだ焼いていなかったのだとおっしゃってあわてた様子。

 特別だという白ワインと、野菜の煮物、アボガドを食べながら、大きな魚が焼けるのを待つ。 ドバイで個展する作品を運び出したばかりで、大きな注文もあり、1年間休んでいた制作を再開された。ドバイの病院の壁画の話も続行中で、吉田さんは、年齢もあって、長期にかけて、ドバイに滞在する事はできないから、と断っているとか。 アメリカの著名な建築家が、吉田さんの絵画を入れたくて、まだプッシュしてくる。実際に決まるのは

6人の建築家の中から一人なので、どうなるかはわからない。

 吉田さんの絵画には、金箔が使われているが、その黄金色が、心を照らし、包み込まれるような感覚を覚えるらしい。

 吉田さんの絵画は、海外では高い評価を得ているのに、日本では知られていない。それで良いとおっしゃる。吉田さんは大きな作品を描いて来られた。それらはパネルを自由に組み合わせることが出来るように作られている。

 アトリエに案内されて、今できあがった絵画4枚を、組み替えて見せていただいた。体力のいる作業をこなしておられるので、お元気なのだろう。絵を描き始めると、朝から晩まで、食事も取らずに作業が続く。作業中に、絵画の下敷きになったことが二度あった。幸い助かったものの、いつそういうことがあるかもしれないとおっしゃる。病院に行くつもりはなく、死ぬなら、絵画と一緒に、そういう形の事故かもしれない、と。言葉が出ない。舞台に立つ人は、舞台で死ねたら本望だというし、山を愛する人は山で、海の男は海で。画家はアトリエで。家庭を基盤に置いている日本人は、畳の上で、と言ってきた。

 

 パリの「ジョンソン、アンド、ジョンソン」の社内で、吉田さんの絵画が展示されているので、それを見せていただきに行った。パリの画廊が、個展をしたいからというので、吉田さんが絵画を貸し出されたもので、吉田さんは関知していなかったもの。バックが薄緑なので、吉田さんの絵画は台無しの感じ。 25点くらい、あちらこちらに展示してある。社員と、訪問者以外、目に触れることはない場所だけれど、知らない人が目にする機会になればいいとおっっしゃる。 

 

 

 帰り道、シトロエンの公園に足を伸ばした。手つかずの自然が残っていて、吉田さんは良く散歩に来る場所とのこと。目の前のカモが悠々と歩いている。人の気配も全く気にしない。山の中に分け入って歩くという感じを残している。竹藪の中に出た枯れた節を取ろうと、吉田さんは必死だ。数珠になるという木の実、吉田さんのアトリエは、訪れるたびに、作品が増え、部屋は満杯状態になっている。最近は、雑誌の切り絵で作った作品が仲間入りした。1年間、捨てられる自然を使って、再び「命」あるものにする創作に専念してこられた。誰も目を止めなかったもにを、新しい作品に変えることで、人に注目されるものになる。それが「命」を吹き込むことなのだ、と。アイデアの泉はつきることなく、益々、みずみずしくなっているのは不思議だ。「これ、何?」と人の関心を呼ぶことが大切なのだ、と。コミュニケーションが生まれる。個人と個人の新しい関係が出来ていく。 

ジョンソン、アンド、ジョンソンの受付で、新聞紙にくるんだクルミのペンダントを、受付の女性達に渡された。「プチカドー」小さなプレゼント。彼女達は嬉しげに、驚きの表情を表す。