サロン

 淀屋橋に画廊があった。イタリア語の教室が、このギャラリーで開かれていたのが、このギャラリーとの最初の出会いだった。私は、2,3回参加しただけで、やめてしまったけれど、それ以来、時折伺っていた。

 経営者のYさんは、ギャラリーをサロンのような場にしたいとおっしゃって、行くと、美味しいエスプレッソを作って出してくださり、私の話を楽しげに聞いてくださった。旅行での写真を持って行ってみてもらったり、、、。ある時、偶然に、大学時代の友人に、そのギャラリーで出会った。彼女は

結婚前からのお付き合いで、彼女のお父様が、絵画の収集がお好きで、Yさんが独立して画廊を持つ以前からのお付き合いだとか。彼女はYさんに結婚まで申し込まれた事もあるとか。

 Yさんの奥様が、有名画家Nの妹さんだというので、当時Nは売れっ子の画家だったので、お商売に専念される必要もなく、画廊をサロンのような場にしておられた。

 当時は、フランスのカシニイオール、ビュッフェ、ブラジリエや、ローランサンなど、リトグラフも高く、

飛ぶように売れた時期、バブルの時代だった。画廊にNさんが、おられないと、奥様は、

「今、お隣のテーラーに仮縫にいっています。」とおっしゃる。

 そんな頃、大阪のデパートで「N展」があり、梅田画廊と共同企画されたとかで、Nの

版画を勧められて、後輩と一緒に買わせていただいた。

 高級スーツに身を包み、文学や、絵画、旅行などについて、お話をするのが大好きだった方が、バブルの崩壊と共に、画廊の経営が難しくなり、奥様も働きながら、なんとか持ちこたえておられた。

イタリア語を教えておられたとか。けれど、いつか年賀状も帰ってくるようになった。画廊は別の名前に変わっていた。