テオドール、ロムロ

  このパンフレットは、2007年1月21日から4月19日までEL PASO MUSEAM OF ART で開催されている、展覧会のもの。

 テオドールと再会するのは10年ぶりだ。私の記憶では、もっと以前だと思っていたが、吉田賢治画伯が、メキシコの近代美術館で、大々的な個展をされたのが10年前の1997年だったと、書いている。その個展に誘われて友人3人で参加した。吉田賢二の絵画を扱っている、画廊や、コレクターなども参加して、メキシコ一日旅行の案内を買ってくれたのが、テオドール、ロムロという画家だ。

彼は吉田さんをパパと呼び慕っている。1年の一番季節のいい2,3月に、吉田さんは、テオドールの住むメキシコに、以前は毎年のように滞在し、テオドールが持っている広大な土地に、恵まれない子供達の学校を建設したいと言っておられた。友人二人は日本に先に帰り、私は息子のいるアメリカに行く前に、吉田さんの海軍時代の友人夫妻と一緒に、テオドールの家に泊めてもらった。奥さんと、沢山の子供達は、皆、明るく、テオドールのお母さんの家にも連れていってもらったり、メキシコ人の生活ぶりを見せてもらった。家中に、テオドールの作品が置かれていて、泊めてもらったお礼代わりに、リトグラフを分けてもらった。

 そのテオドールが、フランスにも奥さんがいて、スイスでの個展の合間に、パリに帰ってきたので、吉田さんのアトリエに、ひょっこり訊ねてきたらしい。その日、私は銀行に朝から出かけて留守だった。私が日本に帰る2日前に、吉田さんは、絵を預けたいから来てほしい、と言われ、テオドールにも電話をし、私達が会えるようにセッティングをしてくださった。

 夕方6時に吉田さんのアトリエを訪ねると、テオドールが先に来ていた。吉田さんの手料理をいただき、お酒を飲んで、3人とも上機嫌。テオドールが持ってきた個展のパンフレットに、彼は気軽に、絵を描いてくれた。白紙の開いた部分一杯に、インクで。吉田さんは、とっておきの作品を見せようか、これは家族に残そうと思っている作品だ、と見せてもらったものの中から、私は、小さいのを2点、分けていただいた。テオドールと吉田さんは、私を送るついでにやってきて、そこでまた、3人でビールを飲んで別れた。 明日も会いたいと言われたが、日本に帰る前日だから、部屋中の掃除と、冷蔵庫の清掃もあるので忙しいからとてもそんな時間はない、と断った。

 夜遅く、吉田さんから電話があり、私のアパートの電話番号を教えたので、翌日電話があるかもしれない。フランス人の奥さんが仕事に出ている間、暇をもてあましているから、と。

 翌朝、何度か電話のベルが鳴っていたが、無視して掃除。そのうちに鳴らなくなった。テオドールではなかったかもね。

吉田さんが「若い女性と見ると、追いかけ回している。こうみえて、女の人にもてもて」というテオドール、「人生は一回かぎりだから、アムールが人生」とすかさず答えるテオドール。女性のおっかけフアンも多いとか。それ、おばあさん?画業はいたって繁盛しているようで、シカゴ現代美術館。シカゴ美術館を始め、パリの版画美術館、アルゼンチンのベノスアイレス版画美術館などに、コレクションされている。