東京タワー、オカンと僕と、時々オトン

 

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東京タワー

 テレビで見た、僕の印象が強かったので、私はそれほど入り込めなかったなかったけれど、場内では、あちらこちらから、すすり泣きの声が聞こえてくる。中には、グシュグシュに泣いている人の、ずずっと鼻をすすりあげる声も。

 東京タワーは、下に、ごちゃごちゃと建物があるので、円形の切り抜きが台無しになって、それで美しくないのだと、パリ在住の吉田画伯から聞いたことが気になって、見ると、なるほど、その通り。

 それでも、随分前になるが、東京プリンスホテルの部屋から間近に見た、東京タワーには感激した。

映画では、東京タワーの夜景がよく見える病室で、いつか東京タワーに一緒に登ろうね、と約束していたのに、オカンは、その病室がついの住処になってしまった。僕は、オカンの位牌を抱いて、約束の東京タワーにオカンを連れて行く。別れた彼女も一緒に。

 オトンは、オカンが僕を連れて、実家に帰って以来、「あんな自由な人は見たことがない。」とオカンに言われるがままの、気ままな生活を続けて来たけれど、オカンは、オトンにとって、阿弥陀様か、観音様のような存在だった。オカンが死んで、僕はオトンに、仏像の絵をほしいと頼むと、オトンは、「完成すれば、」と答える。これは重要なせりふだ。幼かった僕に、オトンは船を造って、もう少しで塗り上げるところで、放り出して僕に渡す。

 未完成のままに、オトンが置いておくのは、そのことで、絆がつながっているという意識の表れであり、オトンの願望でもある。 もしかすると、オカンと別居しているのも、一緒にいると壊れてしまうかもしれない関係を持続させる為だったのだろう。

親子で、オカンを演じているのも興味深い。声も、言い回しも、そっくりだ。僕(オダギリジヨー)はテレビで見た僕よりも、優しくて分別があって、私は、どちらかというと、くせの強い、大泉の僕の方が印象的だ。部屋借りの生活をして、内職で生活しているオカンからお金を無心して、遊びに使っていたという僕に、オダギリジョーのイメージは繊細でスマートすぎるような気がする。

 樹木希林(オカン)は、事実、彼女も乳ガンの手術を体験している。網膜剥離で片方の目が失明していたのを知っても、彼女にはぜんそくがあるので、手術はしたくないのだ、と語っていたが、その後、乳ガンになった。大変な思いをされたのだろう。彼女は自然体で、オカンを演じきっている。この映画の見所は、なんと言っても、オカンを、親子のリレーで好演していることだろう。オトン役の小林薫も、はまり役だった。