亀次郎と一緒に

朝から行動できないので、一日が早く終わる。出かけようとすると、雨が激しくなり、気持ちが萎える。買い忘れていたものを、アパートの下のミニスーパーで買って、アパートに戻る口実にする。

スーパーの入り口には、いつもおばあさんが、漫画本を持って立っている。最初、何故彼女が立っているのかわからなかった。何時スーパーに行っても何か雑誌を持って立っている。漫画本を買ってもらうために立っているということがわかった頃、おばあさんは、私に笑いかけるようになった。私も笑顔で返す。そういう習慣になってしまって、私はちょっと困っている。スーパーに行きにくくなっている。一日中立ち続け、誰一人かかわろうとしない空間で、私に微笑を交わす。私は、スーパーに入っていきにくくなっている。

 アパートに帰り、今日6時半から、日仏文化センターで開催されるコンフェランスに、行ってみるかどうか迷った。オペラバスティーユで、雨の中、じっとなすすべもなく立っていたイメージが残っている。先日電話して、招待券はありませんか、と尋ねると、全部なくなりました。当日行かれても、とても難しい、券が入る可能性はないでしょう、という答えが返ってきていたから、行くだけ無駄だ、と思っていた。けれど、雨も上がり、一応だけ行ってみよう。

 30分前にキャンセル席の受付が始まると聞いていたので、その時間に行くと、私は37番目に開いていれば、席がもらえるという順番だった。

 私の前には日本人の初老の女性が、フランス人と話している。話し終わると、今度は、独り言でフランス語をしゃべりだす。お上手ですね、と言うと、日本語しか出来ないの、私、いろんなことしてるから、この券が入らなくても、勉強するからいいわ、と言って、周りをくるっと踊る仕草をする。 

 時間が来て、私達は全員入れることになった。中はそう広いわけではなかったが、あとから7,8人が階段に座った。その中に、国立劇場の次期、総監督がいたらしい。

{歌舞伎のヌーベルバーグ」という題で、歌舞伎、演劇評論家(長谷部ひろし}が、歌舞伎に今、何故ヌーベルバーグが起こっているのかについてレクチャーをした。

 菊五郎歌右衛門などの名優の死、歌舞伎作家がいなくなって、他の劇作家との共同作業が多くなったことなどをあげていた。歌右衛門が生きていいれば、今の現象は生まれなかったという。

その評論家の話は終わると、市川亀次郎が入ってきて、今度は彼の視点から見た歌舞伎の現状、今後の姿、などが話され、それに対しての、評論家の意見も引き出す、という方法で、対談が進み、最後にフランス人を優先して、質問を受け付けた。

 評論家が言った、印象的な言葉は、海老蔵は、名門の長男だからいろんなことに挑戦することを許されている。彼は革命家です、と。また、紅葉狩りは、亀次郎演ずる山神のためのお芝居で、山神の踊りが、気持ち良い、と。

 その言葉の意味する所は深い。歌舞伎にかかわっている人、良く観ている人は、やはり亀次郎の実力jと、海老蔵のまずさを指摘していた。

 

 亀次郎の歌舞伎写真を担当しているカメラマンが撮った写真がギャラリーに展示され、終わると、

亀次郎は、請われる人と写真を撮ったり、サインをしたり、気さくに応じている。市川猿之助にも良く似ている。養子だと思っていたが、会場に来ていた人が本当の親子だと教えてくれた。猿之助の弟の息子さんで、踊りでは、若手で右に出るものはいない、とか。猿之助スーパー歌舞伎を作り、

歌舞伎の家制度に挑戦して、外部の人に門戸を開いた先駆者的存在。しかし、形という歌舞伎の

重要な要素は、幼い時から歌舞伎の環境の中でしか育たないことを証明している。

 蜷川芝居の十二夜で、亀次郎は、初めて芝居の中で、食べながら話すことを体験した。歌舞伎には決してなかったこと。それを想像によって、演技したという。そういうことで、歌舞伎が変わっていく、という。染五郎が新しい歌舞伎の形を模索していること、挑戦していることは{朧の森に棲む鬼」にもよく現れている。坂東玉三郎もしかり、勘三郎が、ニューヨークのメトロポリタンの近くに仮説小屋をつくってパーフォーマンスしたのもしかり。歌舞伎のヌーベルバーグは、一方で古典を守りながら、一方で新しい風を吹かすことで、歌舞伎をより魅力的で、普遍的なものにしていこうという努力がされている。その努力は、あくまでも基本の形、演技、身体に覚えこませた芸への精進の結果生まれてくるものである。形を破壊するには、しっかりした形が出来ていなければ出来ないこと。形の出来ていない役者が壊そうとすると、それは見苦しく、歌舞伎とは縁遠いものになる。