藤田嗣治について

 

  藤田についての某画家の意見は、私の脳裏から離れないでいる。確かにそうかもしれないが、 人間性とはなにか、という疑問が沸いてくる。フランスは、最も素晴らしい芸術、最も人間性の貧しい国だ、という皮肉った表現があると、フランス語の教室で聞いたことがある。

 素晴らしい芸術を作り出す人は、ある意味で、狂気をはらんでいるように、私は思う。ランボーに嫉妬したベルレーヌの狂気、ゴーギャンに自分の耳を切り落として送ったゴッホの狂気、モーツアルトは、人間的には最低、狂気の人だったといわれてるが、彼の音楽は、神の芸術、聞こえてくる天上の音楽絵を譜面に写す作業をしていただけだ、という。それはギフト、才能なのだ。サリバンは人物としては優れた人であったが、モーツアルトの才能に激しく嫉妬した。いくら努力して、積み重ねても、「神のギフト」に及ぶことは出来ない。

 藤田は、やはり狂気の人だった。戦争に加担したのも、彼の狂気、ファナティックな面があった。

だからこそ、彼の作品は、人の心を惹きつける力を持っているのだと、私は思う。

 酒におぼれ、衝動に動かされ、突っ走って行くのは、それは、日常の自分ではない。なにか」目に見えない力に突き動かされている。犯罪者が、その時自分が何をしたのか覚えていない、というのもそうなのだろう。

 藤田の絵は、彼が日本人であるということを、強く主張している。日本人であること、日本を愛し、

日本を誇りに思っていた藤田の才能が光を放っている。私達への「神のギフト」

 戦後、藤田の絵画に、その光を放つ力はなくなった。パリで、パリの寵児として、君臨していた頃の藤田の絵画、乳白色の肌を、毛筆の細い筆で輪郭を描く手法は、日本画の伝統的な技を用いたもの。