魂萌え

 

女は強くて逞しく、男は弱くて情けない存在として描かれている。映画の中身は書かないことに。

映画「ひまわり」の最後のシーンが映像に映し出されますが、二人の女性を共通した存在として、描こうとしたあらわれ。夫をひたすら待ち続け、白髪が目立ち始めた女性が、夫の消息を探し出し、ロシアに尋ねて行くと、そこにはロシア人の妻と子供との幸せそうな夫の姿が。彼女は彼に会わずに帰っていく。彼女は工場で働き、再びお洒落をするようになり、恋が芽生え、男との間に赤ちゃんが出来ている。そこにロシアから夫が、戦争に行く前に、彼女に買ってきてあげようと約束していた毛皮を買って彼女に会いに来る。すでに遅し。戦争が引き裂いたむごい愛の物語、けれど、女性は、初めて自分をみつめるようになり、社会に出て、自立した女性として逞しく生きていく姿を描いている。「魂燃え」の女性も、そういう存在として描いている。映画の中の女性達は、皆、それぞれの逆境をばねに逞しく生きていくが、一方男性達は、女の助けがなければどうしようもない存在である。それなのに、そういう自覚がなくて、他の女を求めて浮気をしたり、仕事に失敗しては、同じことの繰り返しで、逃げの人生。

 日本に「個人」は存在しない、組織、地位、お金が重視される社会だと、今朝のテレビで、去年亡くなった歴史学者の安部氏は言っていたが、どうやら、男社会に従属させられてきた女性達は、「個人の希望とその現実化」をつかみ始めているようだ。