玉三郎が誘う鼓童の世界

京都劇場で、玉三郎プロデュースの、鼓童の公演を観に行きました。

玉三郎が解説すると言うので、できるだけ前に座りたくて、3列目を買っていたのです。

太鼓は少し離れた方が聴きやすいと思ったのですが、玉三郎がメインなので。

20分の休憩を挟んで、2時間半の公演。最初から最後まで、玉三郎が舞台で、鼓童との出会いから、何年かして、鼓童の舞台監督に就任して以来、古代から、今に至る打楽器の文化を過去現在、未来へと繋ぎ、西洋と東洋を融合し、未来への新しい歴史を作るべく玉三郎は、団員に無理難題を押し付けながら、目指してきたことなど、団員の紹介と、トーク、解説、楽器と演奏を丁寧に紹介しながら、笑いを交えたおしゃべり。

期待してきたのは、最初ちょっと出てくるだけかなと思ってたのだけど、凄く凄く、玉三郎のトークも、演奏も楽しませていただきました。

二部は、太鼓の体験コーナーから、始まって、手を上げて、舞台に出たひとは、一人だけ男のひとで、あとの7人は女性。

見に来ているひとも女性が多い。

近くで見ると、鼓童のメンバーは、皆ハンサム揃い。

玉三郎の可愛くて、マッチョな男性達。

まだ一年というこれからの若い人達は、細くてきゃしゃな感じの可愛い顔だけど、これから、ベテランになっていくと、肉体美を伴って、魅力を増していくのだろう。

ドラムが、3台新しく取り入れられ、迫力は、ますます。新しいサウンドの融合で、魅力的な舞台になっている。

京都劇場は、舞台が見やすくできている。

玉三郎が、これほど熱心に、楽団の世話をしてトークを兼ねて、付き添うのは、初めてのよう。

これから1年、各地で様々な公演があるが、こういうのは、京都劇場と、これからは、香川、7月には何日間か、八千代座で。八千代座にも行きたくなった。玉三郎見たさに。

八千代座は、玉三郎のホームのような小屋なので、きっと盛り上がるだろう。

京都は、明日まで。

玉三郎の服のシワまで見えました。靴は、。黒の麻スーツに、エナメルの模様のある派手な靴。

百合が咲いた。

先日、梅田てもらった百合の花が咲いた。

白百合かと思っていたら、山吹色の大輪の百合。

蕾が付いているので、あと少し咲きそう。

百合園からもらったもので、珍しい品種のよう。

暫く咲き続けて欲しいと思う。今朝起きたら咲いていて、満開。

叔母の整理も、昨日で終わった。

私は欲しいものないけれど、実用品ばかりだけど、パリの従姉妹から頼まれたものをあれこれ。

気に入るかどうかわからないが、処分してしまうには、あまりにも勿体無い品々。

信じられないくらい私には多いと思える品々。バッグも、まだあった。押入れの奥から、またたくさん出てきた。

これが、普通の女性達の、普通の持ち物だとしたら、私はなんと少ないのだろうと思って気が楽になった。

一つ買ったら、一つ捨てるのという友人に、見習わないとと思ってたけど、持ってても邪魔になるほどのものはないということがわかった。

フランス人は、10着しか服を持たない、という本が話題になり、整理が美徳のようにテレビの話題になっているけれど、

風通しがあまり良いと、寒々すると思う。

残された人達に取っても、面白くない。

どんなものが出てくるのか、楽しみながら、叔母の片付けが出来たし、普段は会わな良い人達と、暫くの間親しい交流があったのも、叔母の残した遺産だと言える。

素敵なものを一杯残して、旅立った叔母は、見事な生き方をしたと思っている。

山吹色の百合は、叔母の化身のよう。

月末の映画は、revenant

優待券を使わないことの方が多いこの頃、昨日から、二日間、西宮ガーデンズの映画館に通った。

それほど見たい映画がないのと、テレビでもすぐに出てくるから、映画館にわざわざ行かなくてもというので、忘れていることも多いのだけど、気づいたからには、行かないと気がとがめる。

昨日は、ヘイ、シーザー、という映画を見て、今日は、蘇りし者、revenant,

今日の映画は、凄まじかった。ものすごい迫力で、残虐、スピード満点、肩がこる映画。極寒の中の撮影で、こんな映画は、かつてなかったと思える。

主演の男優が、知っている顔なのだけど、名前が出てこない。

体当たりの熱演でここまで頑張るのが信じられないからいのハードな演技。

トムハンクスも顔負けの凄い演技に感心して見ていたら、最後に名前が出て、ディカプリオだつた。

アカデミー主演賞を執念でとったことは知っていたが、この映画だと知らず、デカプリオではなく、別の男優をイメージしていたのだけど、どこか違うとは思ってて、そうだったのかと、また驚かされた。

この演技なら、文句なしにアカデミーが取れる。

デカプリオは、悪役にも挑戦して、なんとか、甘いイメージを払拭しようと頑張ってたけど、逆効果だなと思っていた。

わからないくらい、見事な変身ぶり。

童顔で可愛いイメージから脱皮して、演技派のハードボイルドな役にこだわって、汚れ役に挑戦して来たのが、この映画で御見事。

満場一致で、オスカーは、デカプリオ以外には、考えられなかっただろう。

クアトロ、セゾン

先斗町にあるレストランで、川沿いに建っている店は、川床がある。

クアトロ、セブンという名の、イタリアンも、その一つ。

人気の店のようで、平日は、女性客ばかりで賑わっていた。

河床をしている店は、高いという先入観があるが、ランチは、2500円と、3500円。

1000円の差で、内容がずっと充実しているので、高い方にした。

お骨納めの帰りでもあり、法事のようなものだから。

河床に案内してもらったら、太陽が照りつけて、これはたまらないと、屋内に変えてもらった。他の人達は、我慢しながらも、帽子を被って、川床で食事を楽しんでいる様子。

まさか、真夏日になるとは思わなかったのだろう。

ジリジリと焼けるよう。紫外線がどうのと居合わなかった頃なら、太陽は歓迎されたけど、

紫外線がお肌の大敵にように言われるようになって、真昼の河床は困る。

夜は、ぐんと高くなるだろう。

お料理は、どれも美味しい。

お皿も凝っている。

帰りに、ステーキをラベている女性客がいた。1000円のアップと書いていた。

ステーキはいらない。家でも大して変わらないもの。

夜にものだ

会話

祖母が元気だった頃、生きているということは、会話が出来ること、と言った言葉が、いつも心の中に残っている。

祖母は、話をするのが好きだった。寂しく育った人なので、人懐っこくて、誰からも好かれた。

父が、仏さんのような人と形容したほど、いつも穏やかで、優しかった。

きらびやかなものは、何一つ付けず、清潔で、清楚という言葉がふさわしい。

祖父は、古武士のような人だと言われた。

貧しい暮らしの、長男として、尋常小学校を出ると、饅頭屋に奉公して、独立し、店を出していた頃、母は生まれた。

祖母の背中で、母がぐずると、祖母は練っているあんこを、母の口に入れて機嫌をなおしたと、母から聞いた。

戦争で、砂糖が手に入らなくなり、祖父は、店をやめて、保険の外交員になつた。

祖父がどうして、刀屋になったのかは聞いていないが、私が知っている祖父は、刀の鑑定や、刀の品評会に出かけて行き、家で、刀を研いでいた。

祖母は、刀の鍔入れを縫っていた。

祖父は無口な人だつたが、女性に好かれ、裕福な美人の後家さんから熱烈な手紙をもらつて、手紙のやり取りをしていたという話が出ると、バツの悪い様子もなく、笑っていた。

祖母が話す、夫の恋物語は、公然の秘め事だつた。

男の色気が漂う人だつた祖父の、そういう素質を母は受け継いだようだ。

言葉が思うように話せなくなった母が、昨日、私が行くと、来たの、と言ってくれた。嬉しかった。まともな会話が出来た喜びに感動した。

ほとんどの場合、意味がわからない言葉に、私は頷くばかりだつた。

来たのね、と言った母に、そう、来たのよ、と。簡単な会話だけど、心が通じ合う喜び。

頭の手術をしてから。少しづつ言葉が出てきて、新しい驚きと感動がある。

生きているということは、会話をすること。祖母の声が聞こえるよう。

海よりもまだ深く

是枝監督の話題作、海よりもまだ深く、を尼崎の映画館で観ました。

尼崎の高層住宅に住んでいる人達も、そして誰でもが、このような問題を抱えていて、諦めたり、何かを捨てたりしながら、辛うじて幸せという名の電車に乗りたい、一応はなんとか暮らしているように、自分を納得させているが、

心は、本当に望むところは、そこにはなく、海よりもまだ深く、どうしようもなく葛藤し続けているのだろう。

表面的に拒絶し、反発し、希薄に、遠ざかって暮らせても、心は深く深く、どうしようもなく深く、愛したい、愛されたい、それが人間の性、本質なのだ。

是枝監督の作品は、人が生きていく悲しさを伴ったいとしさを、淡々と静かにさりげなく表現するのが見事。

バックグラウンドの音楽がまた良い。生活の中に溶け込んだ音楽、さりげなく存在する音の世界。

映像の美学にこだわる監督ではなく、音楽、会話や、声、風や空気、普段の生活の中の、暮らしの道具、使われ方や、生活のシミや垢までも、大切にし、そこに人間の生き様があるとする作り手だと思う。人間の暮らしが匂うもの、触れるもの、歴史。

冗談にしないと、面と向かっては向き合えない、シャイな真面目さが、映画の全面に流れている。

春秋座、男達の棲家

猿之助が芸術監督を務める春秋座で、佐々木蔵之助が主催する、チーム申の特別公演を、京都芸術劇場15周年記念で、猿之助と仲の良い、京都出身の佐々木蔵之助、ドラマでも蔵之助と共演している佐藤隆太の3人での舞台。

幕が開くと、猿之助が艶やかな女舞をたっぷりと披露してくれました。猿之助と蔵之助は、

楽屋を棲家にする、役者の亡霊達という設定。

見えないはずの亡霊が見える、掃除夫に、佐藤隆太が扮しています。

猿之助と蔵之助の、演技の掛け合いが、ものすごく面白くて、面白くて、笑いが爆発。

声だけの出演に、平幹二朗などの、名役者が幾人も、役者の亡霊として、名セリフを入れ込んで、とても良くてきたお芝居になつていて、楽しませてもらいました。

芝居の後は、トーク。お土産付き。

スポンサーから提供された品々を観客の番号くじで当たった人たちがもらえるのですが、最後の方になると、西川からの提供品で、高額になって、最高は、15マンのマッサージマット。

ソルマックは18個など、猿之助や、佐々木蔵之助がコマーシャルをやっているスポンサーからの品物を沢山の人が当たったら土産で持ち帰るのです。

大きなのが当たったら困ると思ってたけど、取越し苦労。何も。

来週は、八千代座ての公演があり、熊本へ持っていく預金箱を持って3人が立つので、皆、一目見ようと手に手にお金を持って、預金。

私は、猿之助がいたはずなのに、見えないので、何処にいるのかと思ったら、向かい側に立っているので、列を離れて、猿之助の箱に入れに行きました。佐々木蔵之助だつたら、箱を前に置いて握手していたけど、猿之助は、箱を持っているので、目を合わすだけ。とても綺麗だつた。本当に肌が綺麗。

遅くなったら帰れなくなるのではと心配して、行きは、出町柳から、叡山電鉄で、行ってみたのですが、割に早く終わったので、バスで河原町まで。バスは、遅くなると半数が少ないので、叡山電鉄を使うかもしれないと思い、あらかじめ道を覚えておかないとと思って。鞍馬までワンマンで行っている。

博多座での公演は、2千万以上、寄付したとか。この3日間の売り上げも、熊本に寄付するのだろう。

預金箱も、猿之助が立つと皆、千円札は最低入れるから、大きな募金になると思う。小児がんの募金のために チャリティー公演を何年も続けている。伝統芸能の会というので、チャリティーを続けていてる。

途中休憩なしの、1時間50分だつた。

お腹すいたけど、家に帰ってからになる。遅く食べるのは控えたいのだけど。