老人の死因に引き金となるのは、脱水症状が多い。
父の命日に、母の所に行き、母にシュークリームを食べてもらった。その日、顔色が黄色い気がして、黄疸が出ているのではないかと思って、部屋に入って来た職員に母の色について言うと、
目の表情に元気がないですね、と言っていた。
月曜日に行くと、母はベッドの中から動かずにいた。看護婦が、小水が出ていないので、器具を入れることも検討したが、朝出たので、と言う。食事はあまり食べないが、便は普通に出ているとの報告があった。水分が足りないのではないですか?と私は言った。ベッドン伏せたままで、帰る時もベッドの中にいた。
水曜に行くと、やはりベッドの中にいた。毎回持っていくみかんを食べてもらった。
母は顔をしかめて、ベッドに臥せっている。心不全があるので、胸が痛いのではと思った。
高年だから、いつどのように体に変化があらわれても仕方ないとは思っている。弱っている。
お花が変わっているので、妹が来てくれたのだろうと思い電話した。
母はやはりベッドにいたようだが、食事は食べていると言われた、とのことだが、私が水曜日に行くと、食事は副食だけ少し食べる程度だと、違った報告。
木曜日、医者に行っている間に施設から電話があった。折り返し電話したら、医者が検針日ではないけれど、来ていたので、診察してもらって、血液検査をしたとのこと。
元気だと、血液検査をさせないのだが、検査が出来て良かった。
熱が下がらないので、抗生物質を処方された。
私は、以前に母が脱水から、熱を出し、肺炎だと言われて、病院に入院したことを思い出した。
水分が不足しての熱ではないかと。母の所に持ってくるお茶が減らないままに交換されていることを思い出した。金曜日もそうだったので、職員に、持ってくる時に、飲ませてくれないか、と頼んだ。
持って行ったみかんの皮をむいて、食べてもらった。一時間半かけて、5つ食べたので、少しは水分が取れた。
事務所により、ポカリスエットを飲ませて欲しいとお願いした。
施設では、夏場はポカリスエットを使っているが、冬場は飲ませていないとのこと。
買ってきましょうか、と言うと、冷蔵庫にまだあるので、次の買い物のときに買ってきます、と
いう。施設で買い物を頼むと、別料金がかかるのだけど、それは施設の意向に従うようにしている。水分の不足で熱が出ているようだ、と私は主張した。抗生物質は効果がなく、血液検査の結果も一部だけ出ているは、異常はそれほどないとのこと。
施設では老衰だと思っているようだった。
日曜日に行くと、母は元気になって、食欲が出て来たとのこと。ベッドにポカリスエットを持ってきて飲ませた形跡がある。
持って行った、美容ドリンクを飲ませると美味しそうに飲んだ。麦茶は、300ccほど飲んだ。
持参した、すじと大根、ニンジンを柔らかく煮込んだものも、食べてくれた。口に入るタイミングを計って。少しづつ口に入れた。
みかんは三つ。
やっと元気を取り戻したよう。
家族でないと、こういうケアーは出来ないし、望めない。
脱水症状で熱が出て、肺炎を起こし、最後を迎える老人の死を、老衰による自然死と判断される。
植物でも、水やりを怠ると、枯れる。
動物は、自ら食べる元気がなくなって、口にしないようになって死ぬ。人間なら自死と同じ。
母の場合でも、自分から飲まないから、水やりをしてもらわないと、枯れて死ぬ。
私は自然に逆らっているのだろうか、と思う時もある。
何年か前に、母が膵臓炎で入院した時に、病院では手術できないと言われ、持っても半年だと言われた。
胆石の名医だという医者を探して、資料をもらって、母と住友病院に行った。
手術ですね、と言われて、安堵と共に、二人で喜んだ。
その後、母は物忘れが激しく、怒りっぽくなり、認知症の症状が出て来た。
弟の家でしばらく暮らしていたが、まだその時は、温泉にも行けたし、家で泊まりに来ていた。
脱水から熱で肺炎になり、芦屋市民に入院した時にも、病院では抗生物質が効かないので、いずれ肺炎死を迎えると判断していた。
私は母が体中痛がるので、リウマチではないかと主張して、その検査を何度も頼んだ。
病院では、医者は自分の判断が誤診だということを認めたくない、が、責任も取りたくないので、整形に回してくれた。
私はリウマチ性筋痛症である可能性があると主張していた。何度かの検査の後で、リウマチ反応が出た。ステロイドを処方され、その翌日から、嘘のように母の痛みは消えた。
食欲が出てきて、母は回復した。まだそのころは、母の認知症は軽かった。
グループホームに入り、一年後に、今の施設に移転。徐々に母の認知症は進んで行った。
人間である以上、私達はいずれ死ぬ運命はまぬがれない。
母は、何度か死の機会を逃しているのかもしれない。病院も、施設も、仕事として人間を扱い、マニュアルに従って、人間の生死を預かっている。
友人は、母は幸せだと言い、そういう世話が出来る私が幸せだと言う。