米倉斉加年という人

     

 米倉斉加年が亡くなった。私の好きな俳優だった。

労演に入っていた頃、民芸の舞台で米倉斉加年の独特なせりふ回しに惹かれた。

民芸の舞台は、宇野重吉を初め、北林谷栄奈良岡朋子、日色友恵、など、地味で、土の匂いがする演技と貧しい人々に寄りそった、民衆演劇、社会派の劇を基本理念としていた。

暗いイメージのものが多かったように思う。

宇野重吉の籠ったような声で、漂白の演技も素晴らしかった。今でも思い出せば舞台が浮かんでくる。

米倉斉加年は、宇野重の後継者として、民芸を支え、演出家としても素晴らしい仕事をしているが、画家としての彼も好き。

ボローニアグラフィック大賞に2年連続で選出された、「魔法教えます。」と「多毛留」の絵本に、直筆のサインをしてもらって買っている。

サインが、其の人の存在感を生々しく残している。

舞台の合間、出番を待っている間に、絵を描く役者さんは、多い。が、文才にも優れている人は多くない。

米倉斉加年は、役者として、演出家として、画家として、作家としてと、多彩で器用な人だけど、その一つ一つが、軽いものではなく、真面目すぎるくらい、真面目に丁寧で、存在感の多大なものばかりだということには、感嘆する。

80歳と言う年齢はまだ若いけれど、突然死だというので、元気なままに、この世から消えていってしまわれたことは、この「多毛留」のようでもあり、魔法を教えてもらったようにも、感じられる。

ああ、舞台を観ていて、良かった、と思うばかり。

「放浪記」の舞台も何度か観た。座長の森光子もいない。奈良岡朋子米倉斉加年が脇を締めると、j芝居が引き締まる。

カナダのモントリオール映画祭で、若い女性監督、呉美保の作品「そこのみて光輝く」が監督賞に輝いた。

この映画も、暗くて、安易には見せてくれない、重圧感のあるものだったが、もみ終わってから、しばらく席をたてなかった。今も心に深く染みこんで出て行かない。

 民芸の舞台に共通するものがあるような気がする。