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禅、心から形へのアート

京都博物館で開催中の特別展に行きました。

ダイナースクラブの情報誌で載っていて、行きたいと思っていたのです。

ずっと忙しくて、母の再手術な懸念もあって、いつ行けるかわからなかったのですが、幸い、手術はしなくてよくなり、時間ができたので。

混んでるかなと覚悟して行ったら、案外空いてて、ゆっくり見ることができました。

お昼は、祇園の、志津屋で、カツサンドセットを。

とても美味しくてボリウムたっぷり。

コーヒーがついて700円は、すごくサービスしている。

コーヒーも美味しいし、絶対のお勧めの店。

祇園からは、博物館まで、沢山バスが出ているので便利です。

国宝や、重要文化財が、沢山出ていて、1時間ほどのつもりが、2時間たっぷりかかつた。建仁寺の住職さんのお話が、何回か時間制であつて、帰る時間に始まるところで、それも聞けて良かった。

禅のクジで引いた棒に色が付いていて、出てきた教えを書いた紙をもらってそれを毛筆で書いて、説明してもらえるというイベントに参加したら、私が引いたのは、一休和尚の言葉で、悪いことをない、良いことをすなさい、という意味の言葉だった。

悪いことしているかな、と反省したら、大食いだ、夜更かしだ、と思い当たる。

ダイエットしなくちゃいけないのに、つい食べすぎて後悔ばかり。

良いこともしないけど、悪いこともしないなんて思ってたけど、悪いことしている。

単純な教えだけど、ズシンときた。

実行するのはむつかしいですね、とあとがきがある。

説明してくれた人が、ついでに、と言って、仏像の目入れを体験するイベントに案内してくれた。

入れ方によって、顔が変わるそうだ。

私が教えられた通りに入れ直すと、柔らかい柔和な顔になって、案内人は良い顔だと言ってくれて嬉しかった。

記念に、写真を撮ってください。一緒に写しましよう、と言われたが私の写真はいらないと断った。

微笑んでいるようなお顔。前に入れか人は、厳しい顔だった。同じ目で同じように入れるのに、不思議。

それからは、仏像の光る目が気になって注意しながら見た。

臨済禅師1120ねん、白隠禅師250年の記念特別展。仏は心の中にある。

言葉にできないものを形に表すという形が、絵であり、茶道、武道に。

禅は問答で、お経はない。黙祷と座禅。

アリストテレスや、ソクラテスの問答と同じだなと思う。禅は哲学だ。

今を心安らかに生きるための哲学だと思つた。

完全を丸で表すことはよく表現されることだけど、その中の小宇宙が、個人の点で表した絵を見て、天、つまり完全な宇宙の中の点なので、点と天は同じだと思った。天の欠けた存在としての私が存在する。私がなければ天は存在しない。天がなければ私は存在しない。だから、私の中に仏がいる。仏の心で生きることは、すなわち善を行うこと。

なかなか実行はむつかしいですね。