団塊の破綻

団塊世代」に格差が拡大している。

昨日の、NHKテレビで、破綻の危機に立たされている団塊世代の現実を見て

愕然とした。

高齢者の介護と、就職できない子供とを、団塊の世代が支えている。

他人事ではない。

私の周りにいる人達に、そういう困難な状況に置かれている人はいない。

バブルがはじけて、職を失ったという人はいない。仕事につけない子供を抱えている人はいない。

生活をエンジョイするだけの余裕のある暮らしをしている。貯蓄も十分ある。

趣味のある生活、美食を楽しみ、高齢の親は、適当な施設にいるか、別世帯か、すでに他界している。

心配なことは、第一に自分たちの健康問題。消費税があがる、物価が上がる、欲しいものがないなど、

恵まれていることを自覚しない人々。すごく働いてきたのだから、報われるのは当然だという人達。

自分たちが死ぬまで無事でいればよいと思っている人々。

私も例外ではない。生活をエンジョイしている。

母親を介護している男性の優しさ。月に一度、母親が入っている施設に面会に行くために、

2時間半かけて行く。年金では捻出できない交通費を稼ぐために、働いている仕事は、あと一年で終わる。その先に果たして働くところがあるかどうか。貯蓄はない。

その人の年金は14万。二か月に一度、離れて暮らす息子に電話で話をする。

あるひとは、自営業をしていたので、年金は8万円。2000万円の貯蓄を崩しながら、高齢で認知症の母親を介護しながら暮らしている。母親をおいて仕事につけない。

ある夫婦は、年金と夫の仕事で35万の収入がある。

が、離婚して子供を連れて同居している息子は職がない。89歳の母親の認知症が進み、目が離せない。貯蓄はない。

5人の生活が、団塊の夫婦におぶさっている。毎月赤字。

バブルがはじけて、職を失った人の多い団塊世代。生まれた子供達は、就職がなくて、非正規採用やアルバイト。

サンドイッチになって、押しつぶされそうに、かろうじて支えている団塊の人々。

取材で出ている男の人達は、親を大切にして、とても優しい。下の世話から食事,寝床の世話。

なんて優しいのだろう。

金銭的に恵まれて、自分たちの幸福を追求し、欲望から欲望に、刹那に生きている団塊の人と、

どちらが幸せなのだろうと思う。

取材を受けている人達は、同じことを口にしている。

破綻したら、「自殺を考えるでしょう。」

澄んだ目をして、空間をながめるようにして、淡々と語る。

社会福祉の充実が必要だ。

働けない子供世代への社会保障の充実が望まれる。

自分たちの生活だけでも苦しい団塊の人々が子供の暮らしを支えている。

不自由無く育った人、甘やかされて育った人は、人の痛みがわからない。

悪気はなく、善良な人間であつても、マリーアントワネットが言ったように、

パンが食べられなかったら、お菓子を食べたら良い、に似た感覚に近い、鈍さ。

阿部首相の認識は、そういう所にあるのではないだろうか?

お金をじゃぶじゃぶ流して、株を上げれば、国民の所得が上がって生活が楽になると考えている。

アメリカの金融至上主義に飲み込まれてしまうために、首を差し出しているようなもの。

底辺の人達に光を当てて、安心な暮らしを確保しなければ、豊かな社会の実現はない。逆なのだ。

言葉では、国民が安心して暮らせるせるように、と言う。

裕福な人々が、安心して暮らせる社会ではないのか?