葬儀も終わって

誰も呼ばず、参加者は、10人に子供二人の小さなお葬式。祭壇の花が溢れるくらい。

叔母が好きだった香水を振りかけてあげるのを忘れてて、写真を持って、専用のエレベーターには入ってから、開けてもらって、振りかけてあげた。

昔は、釘打ちしたような記憶があるが、蓋をするだけで、顔が開くようになったままだから。

ボタン押す人いやだろうなと思ってたら、今はそういうことはしない。

お骨拾いの説明と、喉仏を入れる職員は、若くて綺麗な女性だった。

一日中、こういう仕事をしているのかと思うと、心が痛む。

若い人たちの、仕事がないのだとわかる。

近代的な斎場の前が、元関大の校舎で、今、巨大なマンシヨンが建設中。

便利な場所だけど、昔は、斎場のそばに住むのは嫌がられた。

煙も出ないし、ホテルのような斎場だから、関係ないのだろうか?

不思議なのは、人口減少が問題になっているのに、大阪市は、高層マンションがどんどん建って行く。

誰が入るのかしらと不思議。

我が家のあたりは、空き家が増えて、値下がりの一方。

豊中に家を買ったひとは、当時120万だった坪単価が、値上がりしているという。

私の家は、買った当時は、30万だつたが、今では、半分くらいかも。

便利な場所にあるマンションは、値上がりが激しいとか。

だから、斎場の前でも、少し安ければどんどん買い手がつくということかもしれない。

叔母も、地下鉄からすぐそばの便利なマンションに住んでいた。

高いところが苦手な私は、階下を見るとぞっとする。

エレベーターがあるので、歩けなくても車椅子でも生活出来る。

我が家のあたりか、空き家が多いのは、老齢化が進んで、マンションに変わる人が多いからだ。駅前でないと、資産としての価値はないのに、バスで上がる山手なんて、これからますます置き去りにされる。

叔母の場合、家族と呼べる甥や姪がいたから、長い入院も葬儀も親族でてきたけれど、

一人ぽっちの人もいる。

家族がいても、遠方だったりで、とっさの時の対応が出来ない人もいる。

自分のことは、考えたくはないけど、考えておかざるをえないなあ、と思う。

人に迷惑をかけないで、この世から消えて行くには、と考える。

母の施設で、90いくつかという人が入居されて、付き添いの男の人と相談会の日に出ておられた。

お話を聞けば、長く東京住まいだつたが、芦屋の家に帰ってから、料理を教えておられた。

骨折して、車椅子になり、芦屋の家を処分して、死に場所として選んだと言われた。

息子さんがおられけど、息子さんが60で亡くなられて、以後はお一人。

クリスチャンの方で、何事も神様の思し召しだから、悲しくありませんと言われる。

付き添いの男の人は、ボランティアで、お世話をしておられる人で、家の処分から、入居の世話、金銭のことまで、お世話しておられるとか。

若々しく見えて、その人は80をこえている。ホテルの支配人をしていた人で、ボランティアをしているという。

そう人がいる。

また、ある入居者は、若い女性が、相談会に出ておられて、弁護士だと言われた。身寄りのない人のお世話を、公共だか、裁判所だかから派遣されているとか。

身寄りのない人は、そういう窓口があるようだ。