家族という病

アナウンサーだつた、下重暁子の、家庭という病、という新書が、50万部のヒットだと、テレビで取り上げていた。

友人との待ち合わせまでの少しの時間、本屋で立ち読み。共感を呼んでいるという。

すぐに読める本なので、関係あるところだけ。

テレビのインタビューで、下重暁子が話していたことがそのまま載っている。

その中で、子離れしない親はみっともない、というフレーズがグッとくる。

私は、子離れしていないことに気付かされる。

そうだ。子離れしよう。

友人にその話をしたら、子離れしてないわ、と言われた。彼女は、息子を亡くしている。

今思えば、ある意味で、良かったと思う。息子は、結婚出来ないでずっと一人だったと思うから、自分達がいなくなつたら、どう生きられるかと心配で苦しい思いをしているかもしれない。

夫婦二人だけで、後の心配がまつたくないから、気が楽。と言う。とても仲の良い親子だつた。息子への愛情がとても大きかったから、ご主人は、好きに生きていたかも。

二人は寄り添って仲の良い夫婦になつている。不幸は、幸福と紙一重なのだ。私の場合は、息子は、早くから一人でアメリカにいたので、経済的に自立し、伴侶も得て、完全に親離れしている。

子供の方が、親離れしているのに、私ができてないのは、確かにみっともない。

自立した生き方をしているように思っていたけど、それは間違いだつた。

親から子供にアプローチしないことが、子離れしているということなら、全然できてない。

時々、ネットを通じて息子にアプローチしては、うるさがられている。

かけなきゃよかったと思う時も。

何に期待しているのか?

期待することがいけない。

写真は、堂島ホテルのランチ。長いおしゃべりと、1600円で、優雅なランチ。

期待すべきは、自分に対してだけである。自分を信頼し、未来にどんな自分の可能性があるかに、ワクワクしている、と確信を持って言う、下重暁子

そうだ、私も私に期待しよう。これからの私に、私の可能性に。何が起こるか、ワクワクしながら。

確かにそう。私にかけているのは、精神的自立だ。

寂しいと思うことは、何かに期待しているから。甘えの構造。