九度山の柿

友人から、九度山の柿を送っていただいた。

毎年送ってくださる。

現地て、生産している人の所に行って、買って来られる。

九度山と聞くと、祖母について、一度行ったことがある場所だから、一度行ってみたいと柿を送ってもらうたびに思う。

祖母の故郷は、しげの、という所で、柿を生産していた。

祖母がいた頃は、毎年素晴らしい柿が、実家に送られてきていた。

私はといえば、柿は、それほど好きではないが、父は無類の柿好きだつた。

今、九度山から、立派な柿を送ってくれる友人も、柿が大好きな人。

周りにいる人たちは、一様に柿好きがそろつているので、送ってもらうと、小分けして食べてもらっている。

まずは、柿が大好物だつた父へのお供え。

残って、柔らかくなれば、冷凍すれば良いと聞いている。

熟柿は、父が特に好んだ。

母は、新婚旅行の汽車の中で、若くてハンサムな父が、熟柿の柿を買って、口いっぱい、ほっぺたまで、柿をつけて、ペチャクチャ音を立てて熟柿を美味しそうに食べていた光景を笑い話のように、よく話してくれたものだった。

父は、全く変わらない人、率直で飾らない人のとして、父を慕う人には、とことん好かれた。

父は、人を見下したような、優位に立つようなものの言い方をする人を嫌った。

私は、父の考え方に反発し、よく逆らっていたが、男の人を見るとき、どうしても父が基本になっていることに気づかされる。

体裁を繕う人、インテリを鼻にかける人、人を見下す人は、嫌い。

今年も柿が実る季節になつた。

肌寒さが、冬の到来を告げる。