岸辺の旅から、裁かれるのは善人のみ。

先日、久しぶりに映画、岸辺の旅、という日本映画を観た。失踪した夫が帰って来て、僕はしんだよ、と告げる。夫の即席を二人で辿って旅しながら、夫がお世話になった人達や、心を通わせた人達との再会と、別れの中で、空白の時間が愛によって埋められていく。良い映画をを観たという思いが、次の映画への興味につながって行った。、3つ、今日は、立て続けに観た。

1001グラムの愛

アクトレス、

最後に、裁かれるのは善人のみ

でどの映画も秀作だつた。其の中で、

ロシアの作品で、カラー作品なのだけど、何故か、白黒のイメージが強い。戦艦ポチョムキンを思い出したためなのか。

キリストの生き方に真実がある、と説教する神父と、教会に集う人間に、キリストは存在しない。

自然の厳しさに、打ち負かされ、壊れた船の残骸が、荒い海に浮かんでいる。

自然の厳しさに対抗できない無力な人間。だが、自然の中で生かされている。

その船のような存在である、善良に生き、う打ちのめされ哀れな姿を晒す人達。

やり切れなさがのこる映画。

映画は、観客に、現実を突きつけて問いを残す。

観る人達は、同様に、衝撃を受けるだろう。

私が、感銘を受けている、韓国のカトリック作家の小説に、善人と悪人の違いを問う問答が出てくる。

善人とは、正直であること、誠実であること、博識であること、の3つの条件が挙げられる。

悪人とは、その逆で、嘘つきで、よこしまで、偏狭な知識に囚われている人間をさすだろう。

博識であることは、学歴があることではない。自分をはかりとして、全てを歪みなく、公平に推し量る力量を備えるために、世の中を明晰な眼で観て、あらゆるところから、学び、偏見のない博識を持つ人間のことをさすだろう。

この判断は、とても万人には、相当しない。理想

だけど、現実的は違う。

この映画の中に描かれている、教会に無縁の人達、法の万人として、事実を信ずる弁護士。

かれらは、人間であるから、罪を犯し、絶望して、酒におぼれ、自滅していく。

人間の真実が、描かれていることに、ショック。