堀文子展

 

         

  いただいたチケットで、昨日、兵庫県立美術館に「堀文子展」を観に行きました。

 神戸まつりと重なって、空いてるのではと期待した通り、館内は人が少なくて、

 ゆっくり絵画を鑑賞することが出来ました。

 岩屋で友人と待ち合わせて、とんかつ屋さんで、昼食を。これまで客のいない店だったのに、

 神戸まつりもあってか、店内はほとんど満席。 

 私一口ひれかつを注文。人形町の話題に。この店の一口は確かに一口で、 値段は1280円。

 この店も、関西では、安くて美味しいと思うが、人形町の「伊勢」を知っている私とすれば、江戸っ子の

下町に粋で、気風の良い伊勢のとんかつは、すがいな、と思う。

味噌汁が、しじみ入りの香りの漂うもので、ご飯が美味しくて、キャベツとご飯はお替り自由。キャベツにかける

ソースがオリジナルで美味しい。ヘレは溶けるくらい柔らかくて、750円という、気風の良さ。

以前は、岩屋にトンカツ屋さんで大満足だったけど、あの味を味わった今では。

 堀文子展は観たいと思っていたので、チケットあるけど、と電話で言われて、「欲しい」と言ったつもりだったのだけど、

 なかなか届かなくて、まだおあれば欲しいと申し出たら、あるわよ、と持ってくれたもの。疎通の行き違いだったよう。

随分沢山の絵画があって、どれも迫力のあるもの。

若い時のだんったんで本望な描き方から、30㈹の絵画では、頭打ちの時期がみられ、行き詰っているなあ、と思える絵画

もあって、40代で初めて、海外を旅し、メキシコでの衝撃を受けてから、前のような絵画は画けない自分を発見する。

おそらく「群れない、慣れない、頼らない」という信念と生き方は、その頃から芽生えたものだろう。

私は、軽井沢の集大成と言える、冬景色の絵画、冬の歌に、最も惹かれた。

そこに、堀文子の作品の全てが描かれているという思いがする。

日本画の原点に立ち返って以来、模索を繰り返しながら、堀文子でないと絵がけない、独特の個性と、自然を美的世界で絵がいている。

その絵画を描いて、トスカーナの、太陽に輝く、明るい、春が一杯の世界へと入って行く。 

小さな、名もなき花や虫、自然の摂理に、迷うことなく懸命に生きて、生命を全うすることに、迷いのない世界へと。

真っ白な紙を前にして、いつも、怖れを抱くと言われる。どんな絵画が生まれるのか、自然への敬意と怖れ、美のしもべとして。

わくわくしながら、最期の旅へと向かっている、堀文子、光のさす彼方に彼女の目が突き刺すように輝いている。

堀文子の画像の中に、冬の歌、の前に車椅子の堀さんの写真があった。嬉しかった。

堀文子の言葉の中に、吉田さんが絵と向き合って生きる姿と共通するものがあった。

戦争でなくなった人達の、代弁者として、変わり身の存在として、身を捨てて美の神にひれ伏しながら、神の求める

使命を命の限りに果たして行く、という信念が、堀文子の才能を突き動かしている。