母の所に行くのがいつもより遅くなった。
喫茶店で、時間が経つのも忘れて、素敵な人の
話を聞いていたから。
吉田さんは、その方の亡くなられたお母様が大好きだった。
きっとその方も、と想像がつく。
お母様は、登山家になりたかったという活発な女性で、晩年は
その方が、お世話をしながら一緒に暮らしておられたという。
お母様が亡くなられて以来、日本を旅して暮らしている。
3か月をリミットとして、各地を転々としての、流浪のような
旅を続けておられる、ということを聞いて、私は驚嘆する。
そんなことが出来るのかしら。
郵便物は、転居届を出して、移転先に送ってもらうそうだ。
家財道具は、宅急便を使って、段ボールをいくつも送る。
人の住まない場所を選んで、旅の生活が5年以上続いている。
なんて、すごい生き方。
徐々に、心が解放されて、以前のご自分を取り戻したと言われる。
深い悲しみの中、凍えた身体を、温かい光が徐々に溶けさせることが出来たのは、
人のいない場所での、見知らぬ土地での旅の続きだった。
私は、母の死を思って慄然となる。
頼っているのは、母ではなく、私だ。
母が元気で、笑顔を見せてくれているから、私はなんでもなく生きている。
そのひとのように、生業となる、ライフワークも持たない。
ただ、この世に、浮遊して暮らしているだけだ。
心に風が忍び込んでくるように不安な時がだんだん拡大していくように思う。
体力に自信がもてなくなっていたのもその原因の一つだろう。
そういう思いは、話していると、共通に持っているけれど、想像もつかない生活を
突き進んでいる人がいるということに、私は随分元気をもらった気がする。
母のグランダから帰り道、家の近くに住む、絵画の好きな人に、吉田さんの展覧会を知らせに行った。
彼女も池田にゆかりの深い人で、ご主人を亡くされてから、精神的な打撃から立ち直れずに、倒れて入院されたりしていた。
お母様が亡くなられて、娘さんとお孫さんの生活に不安がなくなって、最近では以前のように元気になっている。
7年かかるわ、と彼女は言う。最近では、一日、テレビを見て、楽しめるようになった。
娘達への金銭的な不安がなくなったことで、安心出来たのね。
吉田さんの個展でお会いした方も、まる6年かかって、やっと精神的に開放された感じがすると言われる。
私も、母が亡くなったら、放浪の旅に出ようと、若い頃は思ってたけれど、そんな自信がなくなってしまった。
海外への飛行機が嫌だ、と言っていた父の気持ちがわかるようになった。
映画は一本しか見られないと言っていた人の気持ちにも納得。
でも、こんなんじやいけないだ、ネジをまかなくちゃ。
これから22日まで、吉田さんのご家族は、毎日終日忙しい。
身体の不自由な奥様が、朝一番に会場に来られて、夜遅く帰ってから夕食の準備をなさる。
体力がつくから、歩いて通って来るわ、と。
様々な方が、吉田さんの作品によって、集い、旧友を深め、新しい出会いの予感を与え、
そして、新しい友情と関係を作る。
疲れた人を元気に、孤独な人に、話の場を。
その影に、大変なご苦労があるのだけれど、それが楽しくて仕方ないと言われる。
私も、家から飛び出して、元気をもらった。様々な人の勇気ある生き方を称賛するだけではいけないな、と反省する。
なまけものの私だから、永続性はないのだけど、その一瞬でも、それは希望への時間、心の平和に浸る時間だった。