野田版「研辰の討たれ」

 

      

 

 歌舞伎映画「野田版研辰の討たれ」を観に行きました。

神戸松竹で上映中です。

勘三郎の額から、着物で、汗が噴き出しているのが、映画の画面ならではの見え。

舞台の隅から隅まで、観客席にも現れての、エンターテメント120パーセントの公演。

出花から、観客は大笑いの連続で、勘三郎がもういないのだと言うことも忘れて、引き込まれていましたが、このお芝居は、悲しい物語の結末を迎えて終わります。

 敵を追われる身になった、元研ぎ職の研辰が、敵討ちの兄弟に、最期はだまし討ちにあって、死ぬ場面で終わっている。

「桜のように潔いわけではありません。秋の紅葉だって、赤く染まって落ちていく。ひとひらひとひら、悲しく」という台詞で、死にたくない一心になんとか命乞いをしようとする研辰が、命の儚さを訴えながら,市を覚悟するシーン。周りの人達は、助けてやれよ、というものもあれば、敵討ちを果たせとけいしかかるものもいる。

 「犬になれと言われれば、犬にもなります。」と犬の真似をしていた研辰を、一旦は許してやろうと諦める兄弟ですが、人がいなくなって、やれやれと喜ぶ研辰をばっさrと切り落とす。横たわった体に、秋の紅葉が一片落ちてくる。

幕が再び上がって、カーテンコール。

勘三郎は、舞台の隅から隅に、腰の低い中腰で、観客を仰ぎ見るような姿勢で、感謝のお辞儀を繰り返す。

目は笑っていない。真剣な輝きを放ってる。なんとか、観客に満足していただけたのだろうか。拍手に答えて感謝の気持ちが、痛いほど伝わって来る。

 悲しみがどっと押し寄せる。

ああ、勘三郎のあの素晴らしい演技はもう見られない。

あれほど、エネルギーに溢れた役者が、あれほどの熱演を見せてくれる役者が。

もっともっと、舞台の上で、飛んで跳ねて、最高の間の取り方で、観客の呼吸をも飲み込んでしまその舞台に立っていて欲しかった。

勘三郎の目にうっしらと浮かんでいる涙は、この舞台では、感極まってのことだけど、

悲しみの未来を予測してもいるようで、とても素晴らしいけれど、こよなく最後は悲しかった。

この舞台で、古今奮闘していた福助が、中村歌右衛門の名跡を継ぐことになった。

歌右衛門は、孤高の女型として、その名を継げるものはいないだろうと思われていたけれど、団十郎勘三郎、という歌舞伎をけん引する大御所が欠けた今、若手がその名にふさわしく育つまで、柱となれる役者の登場が不可欠。

福助歌右衛門を襲名すれば、若手の育成も柱にもなり、

 歌舞伎に大輪の花が咲かせてくれれば、と願う。